ひたすらに諦めている
この間、フィールドワークで訪れた場所を管理してる80代の夫婦と帰り際にお話をした。
話といっても管理している場所の話じゃなくて、他愛もない世間話だ。そしてわたしは話し下手なので聞く側に回ることが多いのだが、今回も例によってほとんど聞く側だった。
年齢や出身地などなどの違いから話す話題は限られてくるが、多分年上の人と話すとほぼ必ず出てくるであろう話題。
今の若者は…という話題である。
ほぼ必ず出てくるとか言っているが、この話題を振られたのはわたしは初めてで、あ〜Twitterやらなんやらでよく見るやつ、本当にあるんだなあ〜と思いながら聞いていた。
しかし話を聞いていて、わたしはだんだん暗い気持ちになった。
なぜかというと、わたしとあの方たちの時代も状況もなにもかもが違うからだ。
家柄も時代も。
わたしは自由ではないし、努力しても報われる保証も無く、したいことも現実を前にすると薄れていってしまうような。ひたすらに諦め続けてきた人間なのだと思った。
対して、戦争も経験して豊かになっていく過程に生きていた人たちは、努力したらしただけ報われ、報われた分の時間とお金を使ってしたいことをして、諦めずに歯を食いしばって生きてきたのだろう。
さらに、わたしがお話しした夫婦は昔から続いていた商売の家で、そういう家の苦労はしてきたと思うが、わたしのような普通以下の家庭の苦しさは知らないのだろうなと勝手に想像した。
それをわかって話してくれるならいいが、向こうはテンプレートみたいにわたしたち若者は便利なものたちが無いと生きていけない、苦労も知らない人だと思って話していた。
なんだかなあ。
苦労の方向性とかが違うだけだし、苦労かどうかは本人が決めることで、決して他人が苦労してる・してないを判断するものではないのだけど、なんの悪意もなくそう判断する人もいる。
出来ることなら大人たちに、わたしたちは惰性でぬるま湯の中を生きているのではなく、上がることができないから、自分の力ではどうしようもできないから、傷つきたくないから諦めてしまっているんだと知ってほしい。
まあでも、他人の気持ちを全部理解するなんて無理だしなあと、また諦めた。